ブログを書いているとたまに「暇なんですねぇ」と言われたりする。じゃぁ、ブログを読んでいる「あなたも実は、暇なんですねぇ。」と言いたくなる。ブログを書いている理由は、いろいろあるんだが、一番の理由は、まやかしが事実、「想定されていない」想定、「根拠のない」事実を排除したいから。
閑話休題
AのとなりがCTRLキーじゃないとダメ?と言っている人がいるが、何人かは、「根拠のない」事実で踊っているのではないかと思った。
というわけで、自分のキーボード遍歴を見てみる。
兄の持っていたX1 Turbo Z
その後、兄はX68000 Proへ。。。バブリーだ。
この手のパソコンは、Aの隣は、CTRLキーだった。
キーボードを意識してさわったのは大学から。94年度の学生からUnixとe-mailのアカウントが配布されることになり、母校の教育系の環境は、なんとSPARC Classic。それを納入したのは、後輩の父親だったりする。
SUN SPARC Classic についていた Type5キーボード。フニャフニャ感がたまらない。
それにぶら下がっていたNCD製のX端末には
こんなやつがついていたと思う。SPARC本体は取り合い。でもキーボードはこっちのほうが打ちやすかった。
ちなみに、同期のあるやつは、PC9801RAで32bitだと自慢していた。Intel 386だし。
学生実験室には、 FM-8でforthという言語が動作していた。2、3年時の学生実験で使った。ちなみに、もうFM-8は廃棄されてしまった。
ちなみに配属された研究室は、SONY NEWSがたくさん。68000系のやつと、MIPSの両方があった。当時のNEWSの性能はR5000を積んだやつでさえもはやPlay Station初代と同じ。
その後、MIPSのCPUということで研究室はSGIに乗り換えたが、O2は、PCと同じ、106キーボードだった。Origin2000は、20万円もする最新型のVT100互換のコンソールがついていた。VT100といえばこんな感じ。
これはVT100といわれる端末のキーボードで1978年製。
そのころには、ワークステーションと同性能のLinux boxが比較的安く手に入る(それでも10万とか20万)ようになったが、卒業祝いにVT100コンソールを一つ頂戴といってみたが断られた(笑)
ちなみに大学1年の時は、Windows 95が出る直前でみんなβ版をインストールしていた。また、FM-Vがディスプレイ付きで20万円を切って売り出された。当時としては破格!
ここで、ようやく、属に言う101/106キーボード。この頃から日本語キーボードのAの隣はCAPSキーが陣取ることになる。
ちなみに、PC/ATの歴史を調べていくと、Aの隣がCAPSになったのは、初代AT(1984)からでその前のXT(1983)とかは、Controlだった。
というわけで、Aの隣は、CTRLキーと主張するのは、俗にいう、マイコン世代の人たちで、DOS/Vから入っている人は、違うのではと思う。そもそも、Aの隣のControlが一番生きてくるのは、MuleやEmacsなんだが、それを主張する人間でMule/Emacsを使っているのはみたことがない。
AnoとなりがCTRLキーの代表格は、Happy Hacking keyboardだが、メインフレームのようにFキーをよく環境だととてもめんどくさい。
最後に私が一番すごいと思ったキーボード
AXというかJXキーボード。英語は英語配列で日本語は日本語配列。そして、Aの隣は、Controlキー。このキーボードだと、キーボードのドライバを入れなくても英語配列で動いた。
このキーボードがUSBで出たら買います。と思ったが、そもそも日本語で打たないのでそもそも必要はない。。。